2019
08.10

プロを諦めた時、僕は劣等感に押し潰されそうだった

スポーツ, キャリア

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田臥世代


そんな言われ方を僕らはされてきた。小学校からバスケに没頭する毎日で、中学時代、僕は関東圏のガードの中では指折りと言われていた。
平地か田臥かなんて下馬評をもらうこともあった。出てくる名前は僕の方が先だった。彼が所属していた大道中との練習試合でも、スタッツは僕の方が遥かに上で、チームとしても負けたことは確かなかったと記憶してる。

でもその先は僕の想定通りの人生にはならなかった。高校で彼はとてつもない結果を出し、僕からは遠いトコロへ行ってしまい、僕は普通よりちょい上な平凡な部活生活を送り、大学卒業後、僕がアメリカに挑戦したタイミングで、彼は日本人初のNBA選手という快挙を手にしていた。

嫉妬した、死ぬほど。腹が立った、自分に。自分のその時いた場所に。今何が足りなかったのか?を振り返ると、それは簡単で、努力だ。そして機会に恵まれなかった、ということも大きかったと思う。

サマーリーグ挑戦時

サマーリーグ挑戦時 with まこっさん&波多野

 

27歳で“引退”


年月を経て、僕は大した選手になれず、
27歳で引退した。というより、プロを目指すのを諦めた。当時彼はもちろん現役で、第一線で活躍していた。本当に羨ましかったし、なんせ恨めしかった。いつからかそれは妬みになっていた。

LEGEND参戦時

LEGEND参戦時

 

その後31歳で僕は起業し、35歳で念願かなってスポーツビジネスを新事業として始め、ようやっとバスケ界に貢献し出したタイミングで、日本のプロバスケットボール史上に残る快挙、プロリーグ統一=Bリーグが誕生した。川淵氏と面識はないが、一生足を向けて眠れないな、と思った。

そして、Bリーグ初年度、そう、『記念すべき初代王者を決める瞬間』に仕事で会場に居合わせた僕は、そこにいる田臥に“まだ”嫉妬していた。こんな舞台で、No.1をかける試合で、これから輝こうとしてる彼に、まだ、未練がましく。とにかく、とにかく、羨ましかったんだ。

 

気持ちの変化


試合が始まり、時間が進むにつれて、僕の感覚はどこか変わっていった。田臥選手を応援している僕がいた。彼のワンプレーワンプレーに
うまっ!と心ときめく僕がいた。よく考えてみたら、嫉妬のあまり、田臥選手の試合は出来るだけ観ないように心掛けていたし、興味のないフリをずっとしてきた。蓋をして、生きてきた。

田臥選手は、コート上で気丈なプレーを続け、たしかに日本バスケ界を背負ってきたんだな、というプレーを観客に見せ、いや魅せ、存在感をコレデモカと出していた。かっこよかった。素直に、かっこよかったんだ。

そして、栃木ブレックス(現宇都宮ブレックス)が優勝した
感動した。とにかく、感動した。

田臥選手がチャンピオントロフィーを天に掲げ、会場内に金の花吹雪が舞い、僕は必死にその瞬間を写真におさめていた。田臥、すげー!と言いながら。大型ビジョンに映る彼に羨望の眼差しを送りながら。

栃木ブレックスがBリーグ初代王者に

栃木ブレックスがBリーグ初代王者に

 

ナニかが変わった。呪縛から逃れられた気がした。自分の今まで歩んできた道、今いる場所、今携わってる仕事、すべてに心から誇りを持てるようになった瞬間だった。そう、強烈な、勝手な、劣等感からの解放だったんだ、と今だからわかる。

今、田臥選手がいる宇都宮ブレックスが支援先であることに、僕は誇りを持っている。自慢のクライアントに育て上げるべく、必ず結果に繋げていく。僕らの、今僕がいる、この自慢のチームで。

 

あとがき

 

本記事は、夢半ばにして解雇や引退と競技から離れることになってしまった元プロアマアスリートの人に読んでもらいたくて、綴りました。超楽観主義で、何でも上手くやってきたと思われがちな僕ですが、正直ここまでの道のりはスイスイきたものでもなく(リンク参照)、もちろん今でも日々苦しみながら想いの方へ猛進しているところです。

過去にFacebookで同じような投稿をし、たくさんの人に反応してもらえたコトもあって、改めてブログというカタチで残しました。苦悩するアスリートたち、これからそういった将来が待っているアスリートたちの多くの方に届くことを祈っています。次のブログでは、僕が思うセカンドキャリアについて書きます。ぜひまた読んでください。

 

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