鶴を折れない人の方がクリエイティブ、という話

ある日、アポから事務所に戻ったところ、靴を脱ぐなりインターンから声をかけられました。インターン:『平地さん、鶴折れますか?』僕:『え?折り紙?折れねーよ!』そこにはなかなか面白いキヅキがあったのです。

 

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鶴が折れる、ということ

 

日本人なら誰もが子どもの頃に通ってくる道、折り紙。素敵な文化ですよね。その中でも代名詞である『鶴』は、折り方が少し複雑であるものの、代名詞ゆえ、必ず体験したことがある子どもの頃の思い出から、大人になっても折れる人が多いようです。※自社調べ(笑)

ひょんなことから、鶴が折れるか?という話になったようで、声をかけてきたインターンは鶴が折れなくて、その他のインターンや社員はみな折れる。事務所内には、『折れて当たり前』という空気が流れたんだと思います。実際、僕が『折れねーよ!』と言い放った瞬間、みなも『あらま(驚』な雰囲気でした(笑)

 

当たり前のことができない。だから?

 

世の中で当たり前のことが自分はできない。そういう時、人は『恥かしい、、、』『なんてことだ、、、』なんて感じてしまいます。それが普通ですよね。でも、いつも思うのですが『当たり前』ってなんなの?と。『普通』ってなんなのか?そんなに大事なのか?

そもそも普通じゃなきゃいけないのか?そう思うんです。他人が思う普通に乗っかる必要があるのか?僕は、ないと思うんです。たしかに、普通がどうであるか、なんであるか、ということを

『理解』

することは大事だと思います。ただ、自分がどうあるか、普通でいたいか、という

『選択』

とは別の話です。普通が何かを理解した上で選択しない、という生き方も間違っていないと思うのです。むしろ勧めたいと思っています。当たり前のことができない、それは普通ではない。だからと言って、それを悲しむ必要はないのだと思うんです。別に堂々としていればいいんじゃないか、と。(余談ですが、普通と常識、はまた違いますよ。)

 

なぜ普通でないことに劣等感を感じるのか?

 

これは色々と根深い話になりますが、端的に言うと、日本の教育システムに問題があると僕は思っています。

みんな一列であることを良しとする日本の教育は、みんなと一緒、ということが良いこと、とさえ勘違いさせます。突出した能力を『普通じゃない』として、削ぎ落とそうとしたりします。僕は違うと思うんです。『普通じゃない』=『特別』だと思うんです。その人それぞれの普通じゃない部分、つまり特別な部分を伸ばす教育になれば、日本はまた元気さを取り戻すはず、とも考えています。

普通でないこと、つまり『平均的なこと』ができない人を普通でない、とし、劣等感を感じさせてしまう空気を作ります。そんなこと、感じる必要はないんです。人間はとっても面白いモノで、何か平均より劣るモノを持つ人には、必ず何か平均より遥か上のモノを授けられています。

極端な話をすれば、目が見えない人は聴覚が人一倍優れている、などです。実際僕は弱視という診断を子どもの頃にされ、小さい頃からメガネ君でした。が、そのおかげで、耳がとても良いです。3組くらいの話は一緒に聞き取れるし、数メートル先の会話もこちらで会話をしていても聞き取ることができます。また、細かい部分まで見えないせいか、広い視野で物事捉えることができ、空間処理能力も優れています。

 

皆と違うことは特別である、ということ

 

普通ではない。みなと違う。これは、むしろ素敵なことである、と改めて伝えたいです。特別なのです。特別であるということを認識し、その特別な能力を伸ばすことにフォーカスしませんか?その方がきっと幸せです。

また、『普通がいい』と思っている人は、それ以上の成長はどうしても見込めません。だって普通がいいんですから。平均的なデキが良いわけですよね。

でも特別なんだ、と肯定できれば、その特別さを伸ばすことにフォーカスができます。自分を愛することができるので。つまり、とっても成長します。もっともっと特別になる!特別でありたい!そんな気持ちは自己愛にも繋がり、その人をより一層魅力的なものにもします。僕は、そう信じています。

 

まずは自己肯定をしよう

 

軽い気持ちで↑に書きましたが、『自己肯定』は非常に成長に寄与します。

・自分が好き
・自分を認めている
・自分は必要とされている

こう思うことはとっても価値のあることです。何か人と違った意見を持ったとしても、それをまずは認めてあげましょう。そして、『間違いではない。人とちょっと違うだけ。』そう考えてみてください。

例えば今回の鶴の折り紙の件。僕はインターンにこう伝えました。

『鶴が折れる人はみんなの知っている鶴を折る。きっとそれだけ。そこで止まる。でも君は鶴の折り方を知らない。でも折れないんじゃない。もしかしたらみんなの知らない脚ありの鶴の織り方を思いつくかもしれない。みんなと同じ鶴の折り方で思考が止まってしまうみんなと比べて、君には可能性しかない。脚のある鶴の折り方を思いつくかもしれない君の方がよっぽどクリエイティブだね!』

本当にそんなもの折れるかはわかりません。そんな折り方は思いつかないかもしれません。でも僕はそういうことが言いたかったわけではないんです。モノは考えようだ、ということです。

 

短所は違う側面から見れば長所

 

人の短所は少し違う角度から見れば長所にもなる。ただ短所にうなだれるだけであればそこで終わりであり、成長はできないでしょう。でも違う角度から見る努力をすれば、それは長所にもなりうる。短所ばかりの自分を責めるよりも、長所が少しでも多いと思える自分でいたほうが、自分を肯定できたほうが、きっと人は成長します。何より、明るくなります。明るい人は、人を寄せ付けます。そう、魅力的なんです。

普通でないってことは、素晴らしいんです。凄いことが生み出せる可能性を持っているんです。だからクリエイティブなんです。いつだって普通に疑問を感じ、人と違うことをする人がイノベーティブであり、歴史を、世界を変えてきました。自己の肯定をして、自分に自信を持って、自分をもっと好きになって、自分が誰よりも自分のことを応援してあげられるようになって、クリエイティブな人生を送りませんか?

 

僕らには、可能性しかありません。

 

creative

 

株式会社プラスクラス
代表取締役 平地大樹

 

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One Comment

  1. 磯貝 wrote:

    あの何気なく聞いた一言がこんなにも自分にとって大切な考え方に発展するとは思ってもみませんでした。
    でも小さなきっかけをいかに大きくできるか、ですよね。そのきっかけをいつもオフィスで頂いている気がします。これからも見逃さず大きくしていきます。ありがとうございます!

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